アルゼンチンタンゴの資料室
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アルゼンチンタンゴの歴史と背景など

アルゼンチン(Argentina)の誕生

アルゼンチンは、日本から見て丁度地球の反対側にあります。
ですから、四季は日本とは正反対なので、こちらの夏はあちらの冬ということになります。

19世紀(1800年代)の南米は、まだ群雄割拠していて、さながら戦国時代の様相を呈していました。(日本では江戸幕府の終焉と明治元年1868年のスタートという転機でした)

スペインの属国という地位からの脱却を目指して
1816年 リオ・デ・ラ・プラタ連合州(南アメリカ連合州)として独立を宣言。

しかしその後も国内外の領土争いや政治的な争い、土着民族からの土地収奪など、常に内戦に近い状態に置かれていました。

1826年 国名をアルヘンティーナ(アルゼンチン)に改称

国名が決まっても、まだまだ不安定な状況は続きます。
ちなみに「プラタ」は銀を意味するスペイン語で、アルゼンチンの原型「ARGENTUM」はラテン語のやはり銀という意味です。元素記号の銀もAgでしたね。

1880年 ブエノスアイレスが首都に定められる

これを機に、国内は安定し、ようやく国家としてのまとまりと、平穏を得た時期でもありました。
ここからの半世紀、アルゼンチンの快進撃が始まります。 
 

タンゴのはじまり

アルゼンチンの国情が安定すると世界中からの「人・物・金」が集まり、首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」と言われるまでに発展します。
混沌から成熟へ、大衆文化のタンゴもまた文化・芸術へ、国内から世界へと開花していきます。

時代は前後しますが、
タンゴを形成する音楽の原型の一つと言われるハバネラは、1800年頃から。ミロンガは1860年頃に広まっていたようです。

タンゴは、今から約130年以上前(1880年頃)、首都として定められたばかりのブエノスアイレスの港町、ボカ地区(La Boca)から始まったとされています。


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●現在のボカ地区(La Boca)はブエノスアイレスの観光スポットとしても有名です。 
現在のボカ地区 観光地としても有名なボカ地区


しかし、既にそれ以前からこの地域にやって来た移民の人々(特にアフリカ系労働者)の過酷な境遇のはけ口として、男同士の荒々しい踊りとして始まっていたという伝承もあります。その頃(1870年頃)から既に「TANGO」という名称だったようです。
正確な文献は見つかっていませんが、既に音楽と踊りは切っても切れない関係であったことは確かです。

そのうちに娼婦を相手に踊るようになったことから、男女で踊る形式へと変化していきます。
初期のタンゴは、様々な大陸の音楽の要素が混然となっていました。(そのあたりは「サルサ」の成り立ちに似ています。興味のある方は調べてみてください。)
酒場で酔った勢いで踊られることが多かったのでしょう。当時の新聞は「下品な踊り」といった評価をしていました。そうした批判にも関わらず、下町を中心に広まって行くのです。
 

一般への普及


下品な踊りとして批判されていたタンゴも、そのままでは流行の一つとして歴史の中に埋もれていったのかもしれませんが、やがて優れた楽曲の登場により、しっかりした文化として根を下ろすことになります。
1880年代のアルゼンチンでは、譜面が残る曲としては最古のバルトーロなどが次々と作曲されます。

1880年前後のブエノスアイレスBuenos Aires Antiguo

一方で、優れた曲とともに演奏する楽器もまたタンゴを盛り上げて行きます。演奏する楽団にバンドネオン(という楽器)が取り入れられはじめました。
それまでは「ギター、フルート、バイオリン」といった編成が中心で早いテンポでしたが、バンドネオンの登場により飛躍的に表現力が向上すると同時に、楽器の演奏特性ゆえのゆったりとした音楽へと変化していきました。

1900年頃には、タンゴの演奏を聞かせるカフェも誕生しています。(Cafe Concert)

1910年には最初のタンゴの学校(タンゴ・アカデミー)が設立されました。
設立者のEl Cachafazは、国内だけでなくアメリカやヨーロッパへと渡り、タンゴの普及に努めました。

この頃はまだアルゼンチンの社交界(上流階級)には受け入れられてはおらず、国民的な文化になるのは、海を渡ったフランスでの大流行によって、その価値が再認識されるのを待たなくてはなりません。
 

アルゼンチン→フランス→アルゼンチン


タンゴ・アカデミー創始者El Cachafazによる普及と同じ頃、アルゼンチンからヨーロッパに渡った芸術家がタンゴ紹介したところ、パリで大流行しました。
どれくらいの大流行だったかといえば、カトリック教会が禁止令を出すほどだったといいます。
男女が抱き合うように見える踊りのスタイルですから、お堅いカトリックの法王も黙認できなかったのでしょう。
 
1907年にはパリでタンゴのレコーディングしたアルゼンチン人も出てきます。

フランスに紹介されたタンゴは、当初はアルゼンチンから遊びに来ていた金持ちの子弟や高級芸術家が踊っていたのが、いつの間にかパリ市民に広がっていったようです。
かつてのアルゼンチンは世界でも有数の裕福な国だったのです。第一次世界大戦では戦火にまみれる事のなかったアルゼンチンから、多くの裕福な人々がパリに渡ります。
それに付随した家族の若い子や留学生が中心になって、その頃のパリで毎夜開かれる社交舞踏会にタンゴの風を吹き込みました。
 
往年のアルゼンチンタンゴ

アルゼンチンの社交界では下層界のダンスとして受け入れられなかったものの、若い世代には魅力的だったのでしょう。本国と違って世間の目を気にしなくて良いパリでのことです。
 
1925年にはF.Canaroがパリ公演に成功し、有名なラ・クンパルシータに歌詞が付けられて歌われました。


パリでのタンゴの大流行は、やがてアルゼンチンに逆輸入のような形で跳ね返ってきます。パリの社交界で受け入れられたということで、アルゼンチンの中流階級にも浸透することになります。

その間、アルゼンチンでは相変わらず下町を中心に、音楽も踊りも多くの流行や洗練を繰り返し、文化としてすっかり定着していました。そこへパリからの大流行の風を受けて、タンゴは一挙にアルゼンチンの国民的文化へと花開くことになりました。

フランスの隣国ドイツではバンドネオンが盛んに作られ、重要な輸出品となっていました。それがタンゴの普及とともに多数輸出されたので、もう無くてはならない楽器として定着したのもこの頃です。
実は初期のタンゴはギター、フルート、バイオリンで、今よりもずっと早いテンポで演奏されていましたが、このバンドネオンの楽器特性に影響されて、ゆったりとしたものになります。
「バンドネオン、ピアノ、バイオリン、コントラバス」という編成が固まりつつありました。
  

「コンチネンタルタンゴ」と「アルゼンチンタンゴ」


一度はフランスで禁止されてしまったダンスとしてのタンゴですが、正式に認めて貰うための努力をした人々もいました。
日本的に表現するならば「弁えた型」などをルール化し、自ら変質させていったのです。

一方音楽としてのタンゴも、1920年代後半からのフランスでは、既存の楽団による演奏が盛んになりました。
最初はレパートリーの一つとしてタンゴ曲を取り入れたのかもしれませんが、元々音楽性の高かった既存バンドがタンゴを演奏するとなると、それなりに芸術的な香りが混じることになります。

やがてフレンチ・タンゴは、「ゴージャスで洗練されたコンチネンタルタンゴ」へと昇華し、
「シンプルで素朴(ストレートで情熱的)なアルゼンチンタンゴ」とは別々の道を歩むことになります。

一方アルゼンチンでも、タンゴ専用のダンスホールも増え、タンゴオーケストラの編成も大きくなっていました。
それと共にスタイルやマナーもまた確立されていきます。
やがて中流家庭層にも受け入れられるようになり、欧米との地理的な距離や政治的な理由も重なって、アルゼンチン国内では半場としてのタンゴをもっと突き詰めるように発展させていきました。

アルゼンチンは国策として、第一次世界大戦で疲弊した国からの移民や労働者を多く受け入れていたのですが、男女比は20:1くらい極端に偏っていました。そうした男性のエネルギーのはけ口として、また憩いの場として、相変わらず娼婦と踊るタンゴの光景もまた健在でした。

日本で一般に受け入れられ流行したのは「コンチネンタルタンゴ」の方でした。戦前の日本の風潮を考慮すれば、当然だったでしょう。
日本では「アルゼンチンタンゴは情熱的なダンス」というイメージが強調されているようですが、それだけに一線を守る踊り手のマナーも重んじられています。
 

1800年頃 ハバネラの流行
1816年7月9日 アルゼンチンの前身 「リオ・デ・ラ・プラタ合州国」が独立宣言
1826年2月 国名 “Argentina”採用 初代大統領リバダビア
1860年頃 ミロンガ(音楽ジャンル)の流行
1870年頃 タンゴの原型が形成
1880年 タンゴ最初の楽譜 「Bartolo」を出版、これによりタンゴ元年と言われる
1900年 タンゴを聴かせるcafe-concert が流行
1903年 El Choclo 11 月初演 El Portenito (03) La Morocha (05)
1907年 Alfredo Gobbi、Angel Villordo パリでレコード録音 Felicia (07)
1910年頃 バンドネオンの登場、ピアノが参加 *Independencia (10)
1911年 Vicente Greco 楽団オルケスタ・ティピカ登場
1916年 Matos Rodriguez *“La Cumparsita”発表 *Inspiracion (16)
1917年 Carlos GardelMi Noche Triste”を録音 *Gallo ciego (17)
1923年 Carlos Gardel 渡仏 タンゴ楽団映画館に進出 *Mano a mano (23)
1923年 アルゼンチンでのラジオ放送開始
1925年 F. Canaro パリ公演成功 La cumparsita に歌詞が付けられヒット
1928年 Gardel パリ公演 Canaro en Paris (26) *La ultima copa (26)
1930年 Gardel のタンゴ初のトーキー映画 *Yira Yira (30)
1932年 Gardel フランスで“Melodia de Arrabal”撮影 *Melodia de Arrabal
1934年 Gardel 米国でタンゴ映画撮影 *Mi Buenos Aires querido (34)
1935年 Gardel 米国で映画“El dia que me quieras”撮影 *Volver (35)
1939年 第二次世界大戦始まる
1941年 Astor Piazzolla がAnibal Troilo 楽団でデビュー *Toda mi vida(41)
1943年 陰語によるタンゴの歌放送禁止→新しいタンゴ誕生 *Uno (43)
1945年 *Adios, pampa mia 大ヒット
1946年 ピアソラ楽団結成 *Sur (48)
1950年 初のLP(17 センチ4 曲入り)発売 50年代前半は第二の黄金期
1953年 早川真平、藤沢嵐子、刀根研二アルゼンチンへ *Taquito militar (53)
1954年 早川真平とOT 東京藤沢嵐子再びアルゼンチンへ *Tanguera (54)
1957年 経済不況によりカフェ続々と閉鎖
1958年 Piazzola ニューヨークへ移住 ‘60年帰国 *Bahia Blanca (58)
1959年 タンゴのステレオ録音始まる *Adios Nonino (59)
1961年 Francisco Canaro 楽団来日公演 *Nocturna (61)
1964年 Canaro 死去 早川真平オルケスタ・ティピカ東京 アルゼンチン公演
1965年 "Cano Catorce"開店 Verano poteno (65) Otono porteno (67)
1968年 Piazzola/H. Ferrer 作ミュージカル”MARIA de BUENOS AIRES”成功
1972年 Teatro Colon で初めてのタンゴ・コンサート *Libertango (74)
1975年 Anibal Troilo 死去
1976年 Juan D’Arienzo 死去
1977年 「タンゴの日 12月11日」制定(Gardel とJ. de Caro の誕生日)
1980年 市立タンゴ楽団結成、Carlos Garcia 指揮の同楽団来日公演
1980年 ブエノスアイレス市建立400年周年、タンゴ誕生百年記念
1981年 Gartieri 陸軍総司令官大統領就任
1983年 “Tango Argentino“ パリで初演 85年 NY 公演成功
1989年 国立タンゴアカデミー設立
1990年 FM タンゴ放送開始
1992年 Astor Piazzolla 死去
1995年 Cable TV Channel “SOLO TANGO”始まる
1997年 "Forever Tango"Broadway でロングラン達成 ‘99年来日公演
1998年 日本アルゼンチン修好100 周年
2000年 「バンドネオンの日 5 月18 日」制定 (A. Troilo の命日)
2000年 12 月12 日Libertad Lamarque92 歳メキシコで死去(日経夕刊記事)
2000年 9月「タンゴ博物館 (Museo Vivo del Tango)」開設
2002年 初のタンゴ・ミュージカル “Tanguera”ブエノスアイレスで初演
2009年 9月 UNESCO タンゴを無形文化遺産に登録
 
 

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